Love is delicious?





 目の前に並べられた料理に、僕はごくりと唾を飲み込むのを感じた。
 固まった思考はすぐには次の行動へ僕を移させてはくれない。ただ、手に持ったナイフとフォークを掲げ、料理を凝視するのみだ。

「どうですか?今日は肉料理を中心に作ってみたんですが……」
 おずおずと遠慮がちにかけられた声に、やっと僕の固まった思考が動き出した。
 ぎこちなく顔を動かすと、声をかけてくれた彼女を不安にさせぬよう、精一杯笑顔を浮かべて答える。 「えと、うん。とっても……おいしそうに見える」
「本当ですか!」
 僕の言葉に、ぱあっ、と喜びの声が部屋に響く。それから、彼女はもじもじ下を俯きながら「嬉しいです」と、小さく呟く声が耳に届いた。

 ……あぁ何ていじらしい仕草だろう。
 僕は彼女のあまりの可愛らしい態度にまた思考を停止しまったが、寸前の所で目の前の料理が視界に映り、現実に戻ることに成功した。
 咳ばらいをして、一旦仕切り直し。深呼吸。気を落ち着かせたところで僕は気持ちを固めた。
「……あのナターシャさん」
「何ですか?」
「これ……トマトですよね?」
 僕は牛肉のステーキの横にちょこんと置かれた彩りのトマトを指した。
 程よく焦げたステーキの横に人参、レタスと一緒に薄くスライスしたトマトが綺麗に飾られている。
「はい。それが何か?」
「何かって……」
 言いよどんだ僕にナターシャさんは不思議そうにこくん。と体を傾けた。
 数秒の間。喋ろうと唇を動かすのに漏れるのはただの空気ばかり。  僕はすごく迷った。でも、言わなくてはならない。ここで、何も無かったことにしたら後で大きなしこりになるだろう。
 そうだ、僕とナターシャさんは話し合わなければいけない。今後のためにも彼女と言葉を交わして理解し合わなければいけない。
 だって、僕達は夫婦なんだから――!

 僕は決意を固めると、ナターシャさんを真正面から見つめれる位置へ椅子を動かす。

「ナターシャさん」
「はい。あなた」
「君に言いたいことがある」
「何でしょう?」

 僕はもう一度ステーキの横で新鮮さをアピールしているトマトを指さした。
「君と同じトマトを食べるのはどうにも気が引けるんだ」
「!!」
「その……君の仲間を食べてる気分になりそうで手を出せない」
「あなた……!」
 ナターシャさんは、赤い体を震わせながら、愕然とした声で僕を呼んだ。

 そう。僕の妻、ナターシャさんはトマトだ。
 瑞々しい熟れた赤い実はもぎたてのように美しい健康美を感じさせるし、頭にちょこんとのっている緑のへたは彼女の素敵なチャームポイントだ。

 ――何故トマトと結婚したか。
 それは僕は自他共に認めるグルメ人間なところにある。
 両親が共にプロの料理人だったことが原因かもしれない。おかげで、僕の舌はプロ扱の味しか受けつかなかったので、将来は自分の舌を唸らせるくらい料理が上手な奥さんが欲しいなあ、とか思っていた。
 そして、ナターシャさんはプロ顔負けなくらい抜群に料理上手だ(なにせ、プロである僕の両親にその腕を認められるくらいだ)
 そんな二人が(一人と一個)が出会った。
 そこに言葉はいらないだろう?
 僕らは何年か付き合った後、結婚することになった。

 結婚するまでは苦難の道だった。種族の違い、生活サイクルの違い、実家で飼っているペットのウサギにナターシャさんが危うく食べかけられる。しかし、その苦難を二人で一緒に乗り越えたからこそ、結婚した僕とナターシャさんは今とても幸せな日々を送っている。
 だが、ナターシャさんに秘密にしていることが僕には一つだけあった。
 言ってしまえば、きっとこの関係は壊れてしまう。僕はそれが恐ろしかった。
 それは……

「ごめんなさい……だって、あなたトマトが大好物って聞いたから……」
「ナターシャさん、どこでその話を聞いたんだい!?」

 そう。僕はトマトが大好物なのだ。
 妻のナターシャさんには話していないが、僕が彼女に会った時の第一印象は“おいしそう”だった。

「マイクさんが話してくれたんです。あいつは小さい頃からトマトばっか食べてたって」
 マイクの奴!幼馴染ならちょっとは僕の気持ちやナターシャさんの気持ちを分かってもいいものを。何をさらっとばらしているんだ!ああ、口止めしておけば良かった……
 憤慨している僕に対し、ナターシャさんは慌てて話を続ける。
「あの、マイクさんに悪気は無かったと思います。だってその後に、その頃からもうナターシャさんに惚れる運命だったのかもなって言ってたんです」
「だからって……」
 と、僕はスライスされたトマトへと視線を向ける。ナターシャさんと同じ赤いトマトへ。
「君と同じトマトを料理するなんて……ナターシャさん、僕のためだからってそんな」
「いいんです」
 僕の言葉をナターシャさんは静かに、しかし意志のこもった声で遮った。ゆっくりと体を横に振ると(人間ならば首を振る様な動作)優しい声が告げる。
「気にしないでください。だって私……プチトマトですから!そのトマトは私と産地も種類も違うんです。だから心配しないでください!」
「ナターシャさん、君プチトマトだったの!?」
「はい」
 衝撃の事実を知って驚く僕にナターシャさんは元気よくうなずいた(体を上下に揺らした)
 ナターシャさんがプチトマトだったなんて……どおりでよく見るトマトに比べて小ぶりだなと思ったら……

「それに私決めていたんです。あなたに喜んでもらえるんだったら、どんな料理でも作るって」
「僕のために……」
 ナターシャさんの言葉に、僕の胸に何か暖かいものが溢れた。
 ――なんて、健気さだろう。
 僕は感極まって、不覚にも涙がこぼれてしまった。

「まあ、あなた泣いていらっしゃるの?」
 びっくりしているナターシャさんに僕は恥ずかしそうに顔を背けながら腕で乱暴に顔を拭う。
「だって、僕はこんな素敵な奥さんから、こんなに愛されてるんだなって思ったら、つい……」
「いやだわ、愛だなんて……自分大好きな人に尽くそうとするのは当たり前のことですよ」
 僕の言葉にナターシャさんは恥ずかしそうに早口で言い返すと、今度は彼女がくるりと体を背けてしまった。

 なんだかしんみりとした雰囲気が二人の間に静かに漂う。カチコチ、と時計の針だけが唯一音を奏でては、一秒一秒時が進んでいることを律儀に知らせてくれた。
 そういえば、この時計は結婚してから初めてナターシャさんと買った物だった。
 蜂蜜色の木を組み立てて作られた置時計の茶色い針をぼぅっと、目で追いかけながらそんなことを思い出す内にいつの間にか僕の涙は引っこんでいた。まだ、微かに残る涙の後を頬に感じながら、僕はナターシャさんへ向けていた椅子を動かし、再び料理ののった机の前へ向ける。

「……料理をそのままにしていたね。早く食べないと冷たくなってしまうよ」
「あら。私すっかり忘れてました」
 僕は仕切り直しだとばかりに、ぴんっと姿勢を真っ直ぐに正し、「いただきます!」と大きな声でナイフとフォークを手に取った。
 ナターシャさんの料理は少し冷えてしまっていたが、それでもとてもおいしかった。
 もちろんトマトも――。

「おいしいよナターシャさん」
「嬉しいわ、あなた」

 おいしい料理、優しい妻、暖かい愛情。
 僕は幸せ者だなあ。
 最後の一口を飲み込んだ時幸福も一緒に飲みこんでしまったのか、とても満たされた心地になった。





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